子供の頃に母が作ってくれた「うをぜ(という魚)の煮物」は、ことのほか美味しかった・・・と母に敬意をもって言いたいのですが、実のところ美味しくなかったんです・・・。
でも母の料理しか食べたことがなかったので、これは母の料理の腕ではなく「うをぜ(という魚)」が、そもそも美味しい魚ではないのだと思っていました。
料理の世界に入って、この魚を食べる機会が巡ってきました。
日々の賄いは、新人の見習いが食材を買い物に行き、調理の準備を行って
煮方さん(お店での煮物料理を任されている偉いさん)が調理を行うので
お店で出している味と同じ賄いを食べます。味を覚えるためですね。
いつも親父さん(師匠)が行く魚屋で、見習いが勧められたそうです。
もともと私は嫌いなものがほとんどなく賄いに出されるおかずで
嫌なものはなかった(一つあったんですがまたの機会にお話しします)
んですが、その日だけは「あ、あの魚か・・・」と気を落としました。
修行中は朝の9時に仕事に入り終わるのは次の日の午前1時ごろ。
1日16時間労働で入りたての新人でその当時給料4万円そこそこ。
食・住は付いているので困りはしませんでしたが、住は6畳一間に
2段ベット2つの4人部屋。自分の場所はベット1個の範囲だけ。
仕事に入ると、口答えが許されない超封建的社会で
どつかれ、しばかれは日常茶飯事。私は料理の世界を
やくざの世界に引っ掛けて合法的やくざ組織と呼んでいました(苦笑)
違いは非合法な方法で儲けているか、合法的な方法で儲けている
かの違いだけであとは全く同じだと思っていたからです。
そんな生活の中での楽しみは「食う」「寝る」ことだけでした。
「食う」はお客様と同じ味付けのものを食べるのですから、
そりゃ美味しいです。「寝る」も寝る自体が楽しみなのではなく
「今日はどんな楽しい夢が観れるか」という事が楽しみだったんです。
話を聞いていると泣けてくるでしょ。
それだけ楽しみな「食う」が今日はあの魚だと思うと・・
凹みますよ。
でも今みたいに残すことは許されないので、イヤイヤでも食べましたよ。
な、な、な、なんと!!!!美味しいことか!
今まで家で食べていた、同じ魚とは思えません!
それ以来、私はその魚を「うをぜ様」と呼んでます。嘘です…
でもそう呼びたくなるほど美味しいんです。
ま、ここまで話が長くなってしまいましたので、何が言いたかったのか
端的に言います。
お店で使う魚を買うところで買った魚と、家で食べていた魚とは、
鮮度が違ったんです。(たぶん値段も)
料理は料理人の腕で決まるという人もいますが
料理は食材の鮮度 7:料理人の腕 3だと思います。
腐りかけた食材をいくら超一流の料理人が料理しようと美味しくはなりません。
しかし、鮮度の良い食材は、料理のできない人が湯がいても美味しいです。
何の話でしたっけ?
そうそう出汁の話です。
良い魚の煮付けは鮮度がいいので臭みがないだけでなく
骨からも良いダシが出るんです。
使っているのは、水、酒、醤油、みりんだけです。
しかし魚から良いダシがでて残り汁まで美味しくなります。
試しに出汁の入っていない水に醤油、みりんを入れて
味を確かめてみてください。とても飲めたもんじゃありません。
出汁があってこそ美味しい料理ができるんです。
出汁が出ていなかったらいくら調味料を足しても美味しくなりません。
美味しくないなあと思いながら、どんどん調味料が増えていきます。
逆にちゃんと出汁が取れていれば、調味料は少なくても美味しいです。
「魚や肉は野菜を美味しくするためのダシ」
出汁は牛肉、鶏肉、豚肉、魚、など、あらゆる動物性から摂ります。
すき焼き、鍋などの煮込み・煮物料理の場合は
野菜が脇役で、魚、肉などが主役と思っている人は多いと思います。
私に言わせると、野菜を美味しく食べるために魚・肉が
あるんです。
魚や肉から出る「出汁」がやさいを引き立て美味しくします。
でもできたらその魚肉も美味しく食べたいですよね。
先に魚肉を水に入れて出汁をとります。ある程度出汁がでれば
魚肉を地獄の鍋から救助します。そのあと野菜を入れて食べる前に
救助した魚肉を再び突き落とし戴くと美味しくいただけます。
最後に文中に不適切な表現がありましたことをお詫びして終わります。
ごめんなさーい